パザ日誌

コラムというほど大袈裟でなく、日記というほど更新もできない。
ただ、pazapのメンバーが思ったことを書き綴るページです。


2003年12月31日(水曜日)----すぎもと

2003年総括?

早いもので……と言うのも相対的なものなのでどうかと思いますが、まぁ個人的には早く感じたので早いもんでと言っておきますが、そういうのは歳いった証拠だと言われたので、やっぱり考え直してみるに、今年は長かった! あー、やっと一年って感じ。

そういう事で、総括って訳でもないのですが、今年観に行ったライヴとか映画とか芝居とか、そういうのを書き出してみました。漏れてるものもあるかも分りませんが、書き出してみると少ないなぁという感じです。今年はそこそこ行ったつもりだったのになぁ……。来年はもっと行けたらいいなぁ。

それから、今年は「いっぱい本を読む」っていうのを目標にしてたのですが、これも何冊読んだかとかカウントしてないので分りません。途中、いい感じで「読んでるぞ!」っていう充実感みたいなのもありましたが、後半まったく読まなくなってしまいましたです。これは来年も継続するつもりです。

あとはこの日誌は内容はともかく、一応休み無しに毎日付ける事が出来ました。本当に誰が読んでるんだろう? って思ってたんですが、それでもリンクして頂いたりBBSに書き込んで頂いたり、メールを頂いたりもして結構楽しかったです。読んで頂いた皆様、本当にありがとうございます。まぁ、ただ一日が終わるだけなんですけど(苦笑)。


2003年12月30日(火曜日)----すぎもと

ひこうせん

ひこうせんのチョコレート・ケーキ

昨日と同じく、放射冷却の寒さの後、暑いくらいの陽気の帰省三日目。掃除も落ち着いたし、後は食って食って食って食うだけの一日です。そういう訳で、帰省の時のおきまりである、宍喰町の「ひこうせん」という喫茶店へ。

ボクの中での一番美味しいラーメン屋さんは「天龍」と書きましたが、ケーキとミックスジュースはここ「ひこうせん」が今の所一番好きなのです。で、いつものチーズケーキとミックスジュース。それとチョコレート・ケーキも横からぶんどってみました。一番上が生チョコっぽくて旨い。そしてミックスジュースはお腹いっぱい堪能出来るのが嬉しい所です。

昔からミックスジュースは大好きだったんですが、なんせ量が少なくて――氷が大きかったりもしますし――満足できないんですよね。でもここのミックスジュースは丸っこい、金魚が飼えそうなグラスにたっぷり入ってるんで堪能できるんです。あーお腹いっぱい。


2003年12月29日(月曜日)----すぎもと

バリア

金柑

京都より寒いんじゃないかっていう夜が明けて帰省二日目。朝起きると快晴で、太陽が出ると上着が要らない程に暖かい。というより、暑いくらいの陽気です。どうやらあの寒さは放射冷却だった模様。そう言えば放射冷却っていうものを、これだけ強く感じたのはかなり久しぶりだなぁと思いました。京都に居る時にそんなに感じないというのは、やっぱり都市部には目に見えないバリアみたいなので覆われているのだと確信するのです。北朝鮮の核ミサイルもブロックする位の。

そんな今日は一日中、大掃除に明け暮れたのでした。掃除は疲れたけれど、新鮮で旨い刺身をたっぷりと堪能して、リフレッシュなんてちょっと赤面ものの単語でも使いたくなる様な気分です。平和すぎて別に書く事もない程。

しかし、星の数がハンパじゃなくていつまでも見ていたい感じです。きっとボクがここに住んでいた頃もこれぐらい星があったんだろうけれど、都市部はバリアがあるから、きっと見えないんだな……。

(写真は庭になってた金柑です)


2003年12月28日(日曜日)----すぎもと

えんやこらせぇ〜たこフェリー

久々の帰省の日。朝八時に出発予定が結局起きたのが十時前。頭痛はだいぶ治まって来てたけど、そんなに寝てないし予定は狂うしで、予定を一日ずらそうかと思うも、今日乗る予定にしてたたこフェリーのサイトを見てたらやっぱり行きたくなって、留守番を頼んでから十二時ごろ京都を出発。もう予定は狂ってるし、かといって急ぐ旅でもないのでゆっくりと行く事にしました。給油をしたあと京都南インターから名神高速へ。渋滞も無くてスムーズなのでホッとしながら、まづは太陽の塔を右手に見た後、何も食べてないので腹ごしらえに吹田サーヴィスエリアへ。軽くうどんでも食べようと「きつねうどん」を注文したんだけど、こんなに不味いうどんを食べたのは久しぶりでした(苦笑)。サーヴィスエリアのうどんが手打ちの必要も無いのでいいんですけれど、だしがダメですねぇ。外で売ってた鰻丼でも買えばよかったと後悔しながら、なかなかさいさきの良いスタートです。

天気も快晴で暖かくて、道もスイスイと順調で言う事なし。すんなりと西宮へ着いて、そのまま阪神高速神戸線へ。明石海峡大橋が出来てからはこのまま第ニ神明からそのまま明石海峡大橋を渡って淡路島を縦断するんですが、今日は久しぶりにたこフェリーに乗る予定だったので湊川出口で降りました。下の道――国道二号線――は混んでるんじゃないかなぁ……と思ったものの、こちらもスイスイと渋滞無しでラッキー。明石の港には二時迄に着いてました。かつて橋が出来る迄は、このたこフェリーに乗船するために駐車場に入るのにも長蛇の列が出来て、六時間くらい普通に待たされたのに、久しぶりに来てみたら今はそんな事が嘘の様にガラガラ。こうなると逆にこの船の旅もだんぜん楽しくなります。

明石海峡大橋 明石海峡大橋(下から)

軽自動車に二人乗って料金は1800円。実際の船旅は十五分から二十分くらいなんですが、景色は良いし明石海峡大橋の下はくぐるし、備え付けの望遠鏡は見放題と、USJのアトラクションよりよっぽど楽しいアミューズメント・パークみたいなもんです。

ポカリスエットの壁画

それにフェリーに乗るなんて、こんなに旅気分を味わえる事はないのでかなりお薦め。橋も渡りたいって人は昼間にフェリーで淡路島へ行って、帰りは夜景を見ながら橋を渡って帰ってくるのがベストだと思いますよ。「もうちょっと乗ってたかったなぁ……」という丁度いい頃合いで淡路島へ到着。これまた久しぶりなので、ゆっくりと国道をファームパークあたりまでドライヴ。西淡三原インターから高速に乗って、鳴門海峡大橋を渡って鳴門北でおりました。これでドライヴがてらで楽しくて、しかも低価格という感じで徳島県に突入。かかった料金は名神高速(京都南から西宮)が1350円(軽料金)、阪神高速神戸線が500円、フェリー代1800円(軽料金とひとり追加)、本四道路(西淡三原から鳴門北)1150円(軽料金)で、しめて4800円でした。大塚製薬の倉庫に書かれた、ボクの大好きなポカリスエットの壁画を見ながら鳴門市街地を抜けて徳島市内へ。何かこれを見ると帰って来たなぁという感じになったりします、ボクの場合。

久しぶりなので旅の楽しみである「道を間違える」という行事もおりまぜつつ、藍場浜のパーキングへ。「徳島ラーメン」っていうのが美味しいらしいって話題は良く聴くのですが、まったくそういうラーメンを食べた事がなかったので、せっかくだからってんで有名な「いのたに」へ行ってみました。

昔演劇の大会で何度かステージに立った郷土文化会館を右手に見つつ、春日橋を渡って眉山へ向かって歩いて、実はだいたいの場所しか頭にインプットしてなかったので、半分いきあたりばったりに「いのたに」を目指しました。なんとかお店を見つけた時には、店にはシャッターがおろされてましたとさ(笑)。「あれ? 今日は休みかなぁ……」とか話してたら、たまたま中からお店の人が出て来て入れてくれました。初めはなにがなんだか分らなかったんですけど、どうやら営業は夕方五時までらしくて、もう十五分程過ぎてたのでした。とってもラッキーな感じで食べる事が出来たんですが、入った時には数人の人が居たものの、最後にはボクらだけになって何となく居心地が悪いなぁ……という感じ(苦笑)。四十人程のゲーノージンのサインを眺めながら、スープを最後まで飲み干して店を出ました。ホントお店の方々、終わってる所をすみませんでしたです。味は一口目スープを飲んだ感じは、こってり系のしょうゆ味って感じだったんですが、実はあっさりっていう不思議な味で美味しかったです。ボクは最初だし、プレーンなのを食べたのですが、肉入りのを食べさせてもらったらこっちの方が美味しかったです。ただ、ボクが一番好きな天龍――昨日書いた「しぐれ焼き」の店の近く――のラーメンを超える事はありませんでした。

その後、東新町やら駅前周辺――徳島Cityやら駅ビルアミコからポッポ街――を見て回って、夜九時頃に実家に無事到着しました。途中、例の自衛官の人が徳島県警によって無理矢理「自殺」にされてしまったらしい事件の現場で合掌をしたり、牛が出たりするらしい化け物スポット(?)を通りつつ、それでもゆっくりゆっくり九時間の楽しい旅でございました。

いのたに ポッポ街のキャラクター


2003年12月27日(土曜日)----すぎもと

しぐれ焼き

個人的には正月前の恒例という事で、自動車保険の更新手続きをしに、いつもお世話になってる癒し系整備士T氏の居るお店へ。すっかり等級が最大までなってて、「一回くらい使ても保険料変わらへんから、使いや」などと言われて、そうかぁ……と思うも、それにしてもわざわざ事故して使うのもなぁ(笑)。年末年始は車を結構使うので事故には気をつけねば。いや、それよりも途中で止まるんじゃないかっていう方が心配だったりするんですけど……(苦笑)。「淡路島辺りで電話するし。止まったら助けに来てな」と言って帰ろうとすると、「ナンバー外せる工具とタクシー代持って行け」って言われました。冷たいのね……(笑)。

ロールケーキ

その後、ちょっと近く迄行くついでがあったので、久しぶりに「しぐれ焼き」を買いに行こうと北大路堀川辺りを目指してました。しぐれ焼きっていうのは、堀川通りの北大路通りをちょっと上がったあたり(西側)にある、「カーニバル鈴や」(こんな字だったっけか?)っていうお店の名物で、たこ焼きを大判焼き――またの名を今川焼、もしくは太鼓まんじゅう、近鉄で売ってるのは御座候……色々な呼び方があってややこしい――の型で焼くような感じで、たこじゃなくて上に豚肉がのってて美味しいのです。前に良く買ってた頃は、これが三個入ったのが二百円だったんですが、最近は多分二百五十円だったかな? いずれにしても安くて美味しいのです。

堀川通りを北大路まで上がった時に、明日から二年二ヶ月ぶりに帰省するという事で、お土産に焼き菓子も買って行こうと思ってたのを思い出して、しぐれ焼きの前に北大路を千本通りまで行ってMonicaというケーキ屋さんへ。焼き菓子と一緒に今日食べる為にロールケーキを購入。流石に北の方は寒くて、雪が降って来てていやだなぁ……などと思いながら車を走らせると、ロールケーキを買ってしまったのも手伝って、すっかり「しぐれ焼き」をすっ飛ばして帰ってしまったのでした。やれやれ。それにしても、ナッツって見た目や食感は良いんですけど、味的には邪魔だというのはボクだけでしょうか?

明日は朝八時には出発しようと、今日は早く寝るぞ! と思うものの、眼精疲労からくる頭痛が酷くて眠れない。それで結局眠れたのは、明け方四時を過ぎておりました。辛いのう……。


2003年12月26日(金曜日)----すぎもと

元旦の新聞

ドラム道場へ向かう途中、ちょうど淡路で北千里線に乗り換えた所で、同じ道場生のT君に出会いました。お互いに読んでる文庫本を終い――ボクが岩城宏之でT君は中島らも――色々と話を。何故か新聞配達の話になり、ちょっと盛り上がりながらスタジオ・ジュエルまで。ボクは小・中学生の頃に新聞配達をしてて、T君も経験があるとの事だったんですけれど、新聞配達の話題になると絶対に(?)出てくるのが(まぁ時期も時期だっていうのがあるんですが)正月の事ですね。なんせ一年で一番大変じゃないかっていうのが元旦の新聞配達ですから。あの一部でも半端じゃない分厚さになるという元旦の新聞がいっぱいある訳ですから、あれに更に雨でも降られたものならもう大変なんですね。ただ、ボクがやってたのは田舎での事なので、数件の為に何キロもちゃりんこをこいで行くっていう、部数も少ない地域だったんですけれど、都会の元旦の新聞配達はどうなってるんだろう? って想像も出来ませんが。……というか、想像したくないです。


2003年12月25日(木曜日)----すぎもと

運がいいとか悪いとか

クリスマスらしいです。関係ないですけど。

そう言えば、宝くじというものに対して「努力しても当たらないから嫌いだ」というコメントを、某サイトで見かけて面白いとおもいました。実際に直接そういう意見を聞いたこともあったので、こういう人がいっぱい居るんじゃないかなぁ……とかって思ってたんですけど。日本人ってこういう「他力本願」的なものが嫌いなのか、というより基本的に努力主義が好きな国民なんですよね、きっと。勿論それが悪いという訳じゃなくて、毎日毎日雑草を抜かないと作物が育たないというバックグラウンドを抱えてる民族としては、至極全うな考え方だとは思います。ラテン系な気候が温暖で、放っておいても作物がすくすくと育つ国の国民とは違う訳ですから。

でも考えに考えて競馬や競艇をしても、自分で決めてロト6やナンバーズをやっても、結局は努力が報われて当たるんじゃないとは思うんですが、きっとそれでも国民性として「全てを任せてしまう」のが許せないんでしょうね。そういう国民が「クリスマス」って浮かれるのは、そばで見てて楽しいですね。もちろん全ての日本人をいっしょくたにして語るのも乱暴なのですが。


2003年12月24日(水曜日)----すぎもと

正しい数の書き方?

何か色々とやる事が多くて、この日誌も滞りぎみでございます。そういえば、まだここのリニューアルも進まず、暫定スタイルのまま定着しつつありますが(笑)、ここ数日はこの日誌の今年分を見返して、数字とかアルファベットとかのおかしい所を直したりしておりました。まぁ良くあるパターンなんですが、夜中にふと思い立って掃除や模様替えをしだしたら、もうどうにも止まらなくなるっていうヤツですね(苦笑)。別段今やらないといけない訳でもないのに、日誌の更新どころじゃなくなって、過去の日誌を修正しまくっておりましたです。

こういうのもバシッっと何か規格みたいな柱があって、それに合わせて修正するなら、まだ話も早いのですが、あーでもないこーでもない……なんて悩みまくって修正、その修正の修正……なんて生産性のかけらもない様な事をずっとしておりました。

いやはや、何を悩むかっていうと「数字の表記」です。半角数字か全角数字か漢数字か、漢数字の場合は「位」を付けるかどうか(例えば「二千三百四十五」とするか「二三四五」にするか)とかっていう日本語の固有の問題とかなんです。これがタンスの引き出しの様に、こっちを閉めればあっちが開く……なんていう事になってて悩んでたんです。結局、前は半角数字を使ってたんですが、ある時に「2003年」とか半角と全角が混同するのが許せなくなって、今回みたいに直してまわったんです。でも今度はその逆で、どうも全角数字っていうヤツが無性に腹立たしくなってきたという、誠に困ったちゃんなんであります。それで、色々といじくり回した後、結局は全角数字をスポポポポンっと半角数字に自動変換しまくって、漢数字の扱いは先送りする事にしました。この辺りで妥協をしとかないと年を越せなさそうだという感じなので(笑)。

それからアルファベットの修正は、全部を大文字にしていたのを小文字、もちくは先頭だけ大文字に修正しました。ただ、それだと問題が出てくる場合もあるので、全部を大文字で表示させたい場合は、スタイルシートのtext-transform:uppercaseで表示できるようにしました。あ、何故そんな事をするのかというと、全部が大文字だと、視覚障害の方が使う音声読み上げブラウザでは、全部大文字だとアルファベットで発音してしまうからです。

そんな事をやりつつ、そろそろ年賀状の準備もせねば……という事で、やっと重い腰を起こして、なんとか二時間で完成させたのですが(下絵は書いてもらってたので、それをトレースして色を付けただけなんです)、プリンターの調子が悪くて九枚も失敗をしてしまいました。うちのプリンターもそろそろ寿命かなぁ……。


2003年12月23日(火曜日)----すぎもと

正しいリンクのしかた?

ここ数日、やたらとアクセス数が多くて、それもGoogleのキャッシュ――キーワードが「バス 助けて 緊急」というもの――なのが不思議だったんですが、どうやら「人力検索」という発想が面白い「はてな」の質問の所にリンクされてた模様です。

同僚がタクシーのサイン灯?(回送・空車・賃走が表示されるところ)に『助けて』の表示が出ていたと申しております。ホントに目撃したと申しております。・・・ありえるのでしょうか?

そもそも該当する2003年08月29日の日誌の部分は引用した部分であるので、引用元を参照した方が親切のような気もするのですが、まぁそれはいいとして、こういう場合はどうしてうちに直接リンクしないのでしょう? というのが疑問なんです。こういうのが最近は一般的なのでしょうか? Googleのキャッシュだとキーワード部分がカラーになってるので便利だというのもあるのでしょうが、普通にIDに直リンクした方が分りやすいのになぁ……とか思いました。

こういうのもリンク論争――リンクには許可がいるとか、直リンクはマナー違反だとか、そういうくだらないヤツ――の影響なんですかね? リファラを残したくないってケースでも無いだろうに……。


2003年12月22日(月曜日)----すぎもと

トリビュート?

昨日の関堂さんのM4(メディア批評日記)より、アンサンブル・モデルンの「グレッガリー・ペッカリー」についての記述。

原曲のコピーというわけではない。今日日のポピュラー音楽でいうところのカヴァーというのでもない。ちょうどそれは,クラシック音楽の作品が優れた演奏によって新しい表情を見せてくれるような,そんな発見をもたらしてくれた演奏だと(私個人にとっては)いいうる。

ボクも同じ事を感じました。このアルバムがフランク・ザッパの楽曲のカヴァーをしているアルバム――俗にいう「トリビュート・アルバム」みたいな感じで――だと言う様な事はまったく感じませんでした。まさにストラヴィンスキーの作品をベルリン・フィルが演奏してるかの様な感覚の様で、でもちょっと違う感じもする変な感覚。これはちょっと面白い感覚でした。大山甲日さんのライナーノーツにも書かれている様に、このアルバムはザッパ名義のオフィシャル・アルバムとしてカウントされる――「イエロー・シャーク」などの様に――可能性があったのだそうです。そういう経緯は知らなかったものの、ボクの中ではほとんどオフィシャル扱いとして認識してしまっていたからなのかもしれません。勿論これはアンサンブル・モデルンというオーケストラの演奏だからかも知れないです。ケント・ナガノ指揮シカゴ交響楽団でザッパ作品のアルバムが出たら、同じ様な感覚になるのでしょうか? (これは微妙な所ですね)。ならば世界中のテクシャンを集めてバンドを結成して、ザッパ作品のアルバムを作ったらどうなのでしょう? 多分それでは今回の様な感覚は味わえないのでしょう。……となると、「ベスト・バンド」のメンバーを全員揃えて、ザッパ作品のアルバムを作ったらどうなのだろう? なんかこれが一番近い気がします。こうなれば、 石黒彰さんが 日記(2003年11月27日)なっなっなっ何だコレー!すっすっすっ素晴らしい!!と絶賛しているbohuslän big bandの"Plays Zappa"( 2003年11月20日のパザ日誌参照)も聴いてみたくなりました。どういう感覚で聴けるのでしょう?

考えてみると、ジャズのミュージシャンがマイルス・デイヴィスの「オール・ブルース」を取り上げて演奏する感覚や、ロック・グループがTotoの「ロザーナ」をカヴァーする感覚や、バルトークの「弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽」をボストン交響楽団が演奏する感覚って、同じ様な事をしてるのに、微妙に何かが違う気がしますね。面白いものです。


2003年12月21日(日曜日)----すぎもと

聖ザッパッパ・デー

ザッパヒゲ・ケーキ

十二月二十一日は京都では終い弘法の日。弘法大師空海の月命日である二十一日は毎月、東寺(教王護国寺)にて「弘法さん」と呼ばれてる弘法市が行なわれていますが、十二月は今年最後の「弘法さん」という事で、終い弘法と呼ばれています。日曜日と重なった今日は、凄い人出だったんでしょう。……が、そうじゃなくて十二月二十一日というシンメトリーな今日は、フランク・ザッパ御大の誕生日なのですな。ザッパ御大と終い弘法……まったく接点が見いだせないのはご愛嬌。

ザッパ御大が生まれたのは1940年という事で、生きていたら今日が六十三歳の誕生日だった訳ですね。宗教的な意味合いがまったくなくて、誰の誕生日でもめでたいことには変わりあるまいてな事で、クリスマスなる世俗的な慣習を我が家でも「ケーキを食べる日」くらいには行なってたのですが、今年からきっぱりと廃止。その代わりというのでは無いのですが、ザッパッパ・デーの今日、「スタジオ・タン」「ティンゼルタウン・リベリオン」を聴きながら生クリームを泡立てて、ケーキなどを作ってみました。一応デコレーションはシンプルに、上にヒゲをかたどった位にしてみたのですが、どうもヒゲの形が上手くいかなかったですな(笑)。ザッパヒゲというよりは、岸野雄一さんのヒゲみたくなってしまいました。それも楽しいという事で、食後にコーヒーと「ユー・アー・ホワット・ユー・イズ」「たどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船」「ブロードウェイ・ザ・ハードウェイ」「アポストロフィ」「オーバーナイト・センセーション」などと共に、ザッパ御大を偲びながらこのケーキを食べました。

2003年10月30日のパザ日誌で書いた「NHK音楽祭」のケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団のプログラムがやっと地上波でも放送されるというので、そろそろ始まりそうな時間です。ケント・ナガノ氏といえば、ザッパ御大とも関係があった音楽家という事で、ザッパッパ・デーの締めくくりにピッタリかも知れませんですね。楽しみ楽しみ。

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